

壬生町名誉町民賞
創設者 関 湊(せき みなと)氏 略歴
明治40年12月 | 栃木県塩谷郡喜連川に生まれる |
大正10年3月 | 喜連川尋常高等小学校を卒業 |
昭和38年6月 | 学校法人獨協学園 参与に主任 |
昭和39年3月 | 常務理事に就任 |
昭和42年4月 | 理事長に就任 |
昭和49年12月 | 「獨協医科大学名誉最高顧問教授」の称号を贈られる |
昭和50年5月 | 「ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章」受章 |
昭和50年8月 | 「紺綬褒章」受章 |
昭和52年4月 | 「勲三等瑞褒章」受章 |
昭和58年5月 | 「壬生町名誉町民賞」第1号を受賞 |
昭和59年9月 | 永眠(享年76歳) |
社会福祉法人設立にあたって
社会福祉法人 関 記念 栃の木会の設立にあたって、『関 湊』元獨協学園理事長は、獨協大学、獨協医科大学、獨協医科大学病院、姫路獨協大学、獨協高等学校をそれぞれ設立し、その経営に携わり病気をかかえる人たちの救済に力を尽くしてきましたが、入院患者以上に救済を要するさまざまな問題を抱えている高齢者が多数いる事に気がつきました。
特に当時の看護職員は独身者が多く、また家族の中にも身体的・精神的理由から常時介護を必要とする高齢者が増えていることがありました。しかしながら核家族化、社会構造の変化等により自宅において常時介護を求めることは、極めて困難な情勢となっております。
今回、このような高齢者を目のあたりにして「弱者には優しく接し、その気持ちを福祉という形で表したい」と社会福祉に並々ならぬ情熱と崇高な理想を抱かれ、特別養護老人ホームを設置したいと考えました。また、獨協で定年を迎えられた医師や看護師が引き続き専門的な経験や知識を活かせる場を、更に医学生や看護学生が福祉教育を学べる研修施設を、この獨協の地に創りたいと考えました。私財を投げうち「お年寄りの方々が毎日を安らかに過ごせるような楽園があったら」という夢を実現するべく、関 元理事長を設立発起人代表に、石崎達氏(獨協医科大学医学部教授)、佐藤勇氏(獨協医科大学事務局次長)、荒川三男氏(壬生町助役)、児玉一夫氏(税務署吏員・税理士)、を設立発起人会のメンバーに加え結成いたしました。
また、獨協学園、壬生町、地域住民を中心に多大なるご協力により、昭和五十八年四月に開催致しました第一回設立発起人会において基本構想を承認、その後数次にわたる設立発起人会において検討が加えられ、順調な進展をみておりましたところ、昭和五十九年九月十四日、関理事長が病の為、急逝するという予期せぬ事態が起こりました。この為、すでに提出の法人設立認可申請書を一時取り下げる事となるなど、その成り行きが心配されておりましたが、ご遺族からも、関 湊理事長の遺志を継承して、是非とも当初の計画通り実現願いたいとの強いご要望をいただき、ご遺族代表を発起人にお迎えし、また後任の発起人会代表として獨協医科大学より佐藤勇氏を選出するなど、設立発起人会を再編いたしました。その後昭和五十九年十二月十五日に再度認可申請書を提出、昭和六十年三月二十七日に認可を頂きました。
その後、社会福祉法人栃の木会の第一号の施設として特別養護老人ホームしもつけ荘が設置され、そして施設長に獨協医科大学アレルギー内科教授で地元出身の石崎達氏が就任されました。その建設にあたっては関 湊理事長の御遺産をはじめ、獨協医科大学より土地の提供等、多方面からの多大なるご協力を賜り、昭和六十年十月一日に完成致しました。
関 湊理事長の長年の夢の結晶でありながら、先生は完成を前に天寿をまっとうされましたが、生への感謝としての社会福祉、ご夫妻が黙々と重ねてこられたその心は、ここに永遠に脈を打ち続けております。
社会福祉法人栃の木会は、初代理事長として佐藤勇氏(獨協医科大学事務局次長)、第二代目 北村顕(元獨協医科大学事務局長)理事長、第三代目 緒方昭夫(元獨協学園理事長)理事長を経て、関 湊理事長の長女である関 裕子理事長が遺志を継承し、現在は孫の関 佳代子理事長が運営に当たっております。
関 記念 栃の木会は、獨協医科大学を設立した『関 湊』元獨協学園理事長が設立を希望していた施設でありますが、当初の志を半ばにして急逝されましたが、その遺志を現在まで引き継ぎ、獨協医科大学の職員と家族が今日まで引き継いでおります。
特に当時の看護職員は独身者が多く、また家族の中にも身体的・精神的理由から常時介護を必要とする高齢者が増えていることがありました。しかしながら核家族化、社会構造の変化等により自宅において常時介護を求めることは、極めて困難な情勢となっております。
今回、このような高齢者を目のあたりにして「弱者には優しく接し、その気持ちを福祉という形で表したい」と社会福祉に並々ならぬ情熱と崇高な理想を抱かれ、特別養護老人ホームを設置したいと考えました。また、獨協で定年を迎えられた医師や看護師が引き続き専門的な経験や知識を活かせる場を、更に医学生や看護学生が福祉教育を学べる研修施設を、この獨協の地に創りたいと考えました。私財を投げうち「お年寄りの方々が毎日を安らかに過ごせるような楽園があったら」という夢を実現するべく、関 元理事長を設立発起人代表に、石崎達氏(獨協医科大学医学部教授)、佐藤勇氏(獨協医科大学事務局次長)、荒川三男氏(壬生町助役)、児玉一夫氏(税務署吏員・税理士)、を設立発起人会のメンバーに加え結成いたしました。
また、獨協学園、壬生町、地域住民を中心に多大なるご協力により、昭和五十八年四月に開催致しました第一回設立発起人会において基本構想を承認、その後数次にわたる設立発起人会において検討が加えられ、順調な進展をみておりましたところ、昭和五十九年九月十四日、関理事長が病の為、急逝するという予期せぬ事態が起こりました。この為、すでに提出の法人設立認可申請書を一時取り下げる事となるなど、その成り行きが心配されておりましたが、ご遺族からも、関 湊理事長の遺志を継承して、是非とも当初の計画通り実現願いたいとの強いご要望をいただき、ご遺族代表を発起人にお迎えし、また後任の発起人会代表として獨協医科大学より佐藤勇氏を選出するなど、設立発起人会を再編いたしました。その後昭和五十九年十二月十五日に再度認可申請書を提出、昭和六十年三月二十七日に認可を頂きました。
その後、社会福祉法人栃の木会の第一号の施設として特別養護老人ホームしもつけ荘が設置され、そして施設長に獨協医科大学アレルギー内科教授で地元出身の石崎達氏が就任されました。その建設にあたっては関 湊理事長の御遺産をはじめ、獨協医科大学より土地の提供等、多方面からの多大なるご協力を賜り、昭和六十年十月一日に完成致しました。
関 湊理事長の長年の夢の結晶でありながら、先生は完成を前に天寿をまっとうされましたが、生への感謝としての社会福祉、ご夫妻が黙々と重ねてこられたその心は、ここに永遠に脈を打ち続けております。
社会福祉法人栃の木会は、初代理事長として佐藤勇氏(獨協医科大学事務局次長)、第二代目 北村顕(元獨協医科大学事務局長)理事長、第三代目 緒方昭夫(元獨協学園理事長)理事長を経て、関 湊理事長の長女である関 裕子理事長が遺志を継承し、現在は孫の関 佳代子理事長が運営に当たっております。
関 記念 栃の木会は、獨協医科大学を設立した『関 湊』元獨協学園理事長が設立を希望していた施設でありますが、当初の志を半ばにして急逝されましたが、その遺志を現在まで引き継ぎ、獨協医科大学の職員と家族が今日まで引き継いでおります。
基本理念
一. 利用者並びに地域の人々に信頼される施設であること
一. 職員にとって働きがいのある職場であること
一. ゆるぎない経営体質、経営基盤を確立すること
一. 職員にとって働きがいのある職場であること
一. ゆるぎない経営体質、経営基盤を確立すること
関 記念 栃の木会の歩み
関 記念 栃の木会は、「お年寄りが毎日を安らかに過ごせる楽園を作って欲しい」という 関 湊氏の遺言と、社会福祉に対する 関湊・よつ 夫妻の並々ならぬ情熱と崇高な理想に基づき、その遺産によって設立されました。
「恵まれない人たちに、満たされない老人から幼児までに愛の手を―。それが私の長い間の宿願だった。」けれども長年の“夢の結晶”の完成を前に、「後を頼むよ」とその思いを遺言に託して天寿を全うされました。
関 記念 栃の木会は、関 湊 氏の幼い頃の苦労の日々と生に対する感謝の念が形となって現れたものなのです。
私たち職員は 関 湊・よつ 夫妻のその思いを忘れずに受け継いで参ります。
「恵まれない人たちに、満たされない老人から幼児までに愛の手を―。それが私の長い間の宿願だった。」けれども長年の“夢の結晶”の完成を前に、「後を頼むよ」とその思いを遺言に託して天寿を全うされました。
関 記念 栃の木会は、関 湊 氏の幼い頃の苦労の日々と生に対する感謝の念が形となって現れたものなのです。
私たち職員は 関 湊・よつ 夫妻のその思いを忘れずに受け継いで参ります。
1984(昭和59)年9月14日 | 創設者″関 湊″氏逝去(享年76歳) |
1985(昭和60)年3月27日 | 社会福祉法人『栃の木会』設立 |
1985(昭和60)年10月1日 | 特別養護老人ホームしもつけ荘開設(50床) |
1988(昭和63)年11月22日 | 老人保健施設みなと荘開設(50床) |
1991(平成3)年3月26日 | 『関 裕子』理事長就任 |
1991(平成3)年8月1日 | 特別養護老人ホームしもつけ荘増床(50床→100床) デイサービスセンター開設 |
1996(平成8)年4月1日 | 特別養護老人ホームいしばし開設(50床) 在宅介護支援センター開設 デイサービスセンターいしばし開設 |
1996(平成8)年7月18日 | 老人保健施設みなと荘に在宅介護支援センター開設 |
2000(平成12)年4月1日 | デイサービスセンターきらら開設 |
2001(平成13)年1月1日 | 特別養護老人ホームいしばし増床(50床→54床) 特別養護老人ホームショートステイ(20床→16床) |
2001(平成13)年4月6日 | グループホームうらら開設(27床) |
2003(平成15)年9月1日 | デイサービスセンターくらら増床(35床→55床) |
2004(平成16)年4月1日 | しもつけ荘厨房改築(クックチル方式導入) |
2007(平成19)年11月1日 | グループホームいしばし開設(9床) |
2011(平成23)年3月26日 | 『関 佳代子』理事長就任 |
2011(平成23)年10月18日 | 社会福祉法人『関 記念 栃の木会』に法人名変更 |
2012(平成24)年4月1日 | みなと荘新築移転 みなと荘デイケア増床(10床→30床) |
2012(平成24)年11月1日 | 地域密着型特別養護老人ホームしもつけ荘開設(20床) 地域密着型特別養護老人ホームしもつけ荘 ショートステイ(10床) |
2013(平成25)年12月1日 | 地域密着型特別養護老人ホームいしばし苑開設(29床) |
2015(平成27)年4月1日 | 老人保健施設みなと荘増床(50床→100床) |
2017(平成29)年6月1日 | 特別養護老人ホーム煌開設(50床) 特別養護老人ホーム煌ショートステイ(10床) デイサービスセンターいしばし移転増床(20床→30床) |
2017(平成29)年12月19日 | 『関 裕子』理事長就任 |
2020(令和2)年6月1日 | 『関 佳代子』理事長就任 |

